蓋を開けるだけじゃだめなんだよ

 久々に他人の考えで感銘を受けた。今日のゼミで、人間の感情の特性を利用して機械に活かす、というような内容で発表した。その中で同期の一人がやっていた発表。
 日常生活でいう軽い表面状の感情ではなく、もっと深いところでの感情についての話があった。さらっと説明すると、

 “深い感情は、喜怒哀楽が等価に配置されているのではなく、穴の中で底から順に楽喜哀怒で格納され、蓋をされている。そのため、まず怒りや哀しみを取り出さないと喜びや楽しさにはたどり着けない。”

というような内容。わかっちゃいるけどわかってないような。でもよくよく考えるほど、確かにそうだ。辛い経験が多かったものほど、それが終わったときに勝手に溢れ出る感情は、日常生活では味わえないようなものだった。鳥コンのフライトが終わって10分後くらいはまさにそんな感じだったと思う。打ち上げのときは後悔とか自責の念もあったからなんともいえないけど。
 ということは、キツイ環境下だったのは運が良かったのかもしれない。辛い状況が続けば続くほど、そしてそれに耐え切ったときこそ、何かを得られるときなのだろう。ただ、そんなわざわざ辛い状況になりたいとも思わないが。
 今のWASAの現役を見ていると、きっと最後まで走りきれればうちらよりも掴める“何か”の質が良いのかもしれない。そんな期待を込めつつも作業してみたらどうだろうか?“何事も捉え様”とはよくいったものだ。