展開図と作品の展覧会なんてあったら,素敵だと思わない?

 最近、何かと忙しかったので久々にうだうだした日曜日を送った気がする。やはりWASAがないと時間にかなり空きができるようだ。



 空き時間を用いて、卵のケースを考えていた。やはり不切正方形紙一枚を目指したいところ。というわけで様々な方の折紙作品をのんびり眺めていた。
 冷静に考えてみれば、2年生になったあたりからWASAが忙しすぎたのもあり、ゆっくり折師のサイトを見ることもなかったので、それなりに時代が変わっていることに気づいた。いわゆる折り紙新世代の勢力がすごい。テレビチャンピオンが終わってしまったこともあり、なかなか折り紙の世界が表に出ることもなくなってくるのかなぁという予想だが、案外そうでもないかもしれない。ちゃんと新世代の方々が素晴らしい作品を折っているので大丈夫だろう。



 それにしても、折り紙は奥が深い。理系の方ならば「バラと折り紙と数学と」(川崎敏和著,森北出版)あたりを読むと世界観が変わるかもしれない。@tkfなどが読めば、正方形に憑りつかれること間違いなしだ(それが良いかは別として)。
 また、折り紙は海外でも何気に人気がある。最近では折り紙のコンペティションに海外の方がいらっしゃるのは当たり前のことだし、海外の方も折り紙の本を出版していたりする。「Origami Design Secrets」(Robert.J.Lang,A K PETERS LTD.)あたりは、日本の折師からも高い評価を受けている。
 なによりも面白いことは、国の雰囲気によって折り紙作品もデザインが異なることだ。日本の人はいわゆるカチっとはまるような、数学的要素の強いデジタルな作品が多い。緻密な展開図から先に作ってしまい、折っていく手法があるほどだ。したがって、スーパーコンプレックス作品(超絶技巧のもの)も多い。
 それに比較し、イタリア人の方はなんと折り線が曲線の作品を折っていたりする。日本人の発想からでは、折り紙で曲線を使うなど想像できないかもしれないが、これがなかなか良い味を出している。








 何にでも当てはまることだと思っているのだが、伝統は変わり続けなければ生きてゆけないのだと思う。これは高校の40周年式典かなにかで話したような気がするが、伝統にこだわりすぎて何も変わらず、ずっと維持していくのは、いずれ崩壊につながるだけではないだろうか、ということだ。伝統といわれる部分は根本にあるごく一部の部分だけで、残りの目に見えるほとんどの部分は変わり続けていくべきだと思う。それが発展につながるのであり、その螺旋の中にいる人にとっても変な固定観念を植え付けないで済む。



 革命を起こす必要はないと思うが、変わっていくことは大事なのだろう。かといって、周りや歴史を鑑みずに変わっていくのでは意味がない。きっと、パラダイムシフトを起こせる人は無意識に理解できているのだろう。流れをうまく掴んで、自由に動き続けられるような人間になりたいものだ。