あと8年

 年賀状を書いた。今年はあまりにも作業が忙しすぎて、年賀状は書けなかったので、来年こそは元旦に届くように……と思っていたのに、気がつけば30日にポストに出すようになってしまった。3日ぐらいには届くだろう。
 しかし、1年空くと誰に出せばよいのか迷う。とりあえず駆動系の同期と、今年年賀状をくれた人で現役じゃない人(現役は忙しいだろうから)と毎年年賀メール送ってくれる人にはなるべく送ろう。ただ枚数が足りないのが難点。うーむ。



 話は少し変わるが、冷静に考えてみると年賀状は偉大だなぁと思う。これから先、10年、20年と経てば、さすがに今近くにいる人も多くて年に1度か2度程度会えるかな、といったところだろう。そういうような人とも、年に1度、年賀状を送っておけばある程度相手の近況もつかめたりするし、何よりもその相手とのことを毎年毎年必ず思い出せたりもする。そう考えると、もらったらキチンと返すのは大事だし、出し忘れた年があったとしても、とりあえず年賀状を出してみることは大事なのかもしれない。
 今の世の中、『インターネットがあるんだからそれで交流できるだろう』、とも思う人もいるかもしれないが、社会人になっても今のようにインターネットを用いて交流ができる状態が続くかといわれれば、正直なところ疑問だ。昔の人が考えて、今も様々な形で生き残っている習慣。きっと、こんなに長く生き残っているからには、我々の体に染み付いていて、かつそれなりに有能な習慣なのだろう。ここまでわかりやすく生き残っていることなのだから、なるべく大切にしていきたい。


 それにしても、あと8年後にはみんな鳥人間の話題を年賀状に書くんだろうな、と考えたら、なんだか笑えてしまった(酉年だけに)。少なくともそこまではがんばって書いてみよう(笑)

展開図と作品の展覧会なんてあったら,素敵だと思わない?

 最近、何かと忙しかったので久々にうだうだした日曜日を送った気がする。やはりWASAがないと時間にかなり空きができるようだ。



 空き時間を用いて、卵のケースを考えていた。やはり不切正方形紙一枚を目指したいところ。というわけで様々な方の折紙作品をのんびり眺めていた。
 冷静に考えてみれば、2年生になったあたりからWASAが忙しすぎたのもあり、ゆっくり折師のサイトを見ることもなかったので、それなりに時代が変わっていることに気づいた。いわゆる折り紙新世代の勢力がすごい。テレビチャンピオンが終わってしまったこともあり、なかなか折り紙の世界が表に出ることもなくなってくるのかなぁという予想だが、案外そうでもないかもしれない。ちゃんと新世代の方々が素晴らしい作品を折っているので大丈夫だろう。



 それにしても、折り紙は奥が深い。理系の方ならば「バラと折り紙と数学と」(川崎敏和著,森北出版)あたりを読むと世界観が変わるかもしれない。@tkfなどが読めば、正方形に憑りつかれること間違いなしだ(それが良いかは別として)。
 また、折り紙は海外でも何気に人気がある。最近では折り紙のコンペティションに海外の方がいらっしゃるのは当たり前のことだし、海外の方も折り紙の本を出版していたりする。「Origami Design Secrets」(Robert.J.Lang,A K PETERS LTD.)あたりは、日本の折師からも高い評価を受けている。
 なによりも面白いことは、国の雰囲気によって折り紙作品もデザインが異なることだ。日本の人はいわゆるカチっとはまるような、数学的要素の強いデジタルな作品が多い。緻密な展開図から先に作ってしまい、折っていく手法があるほどだ。したがって、スーパーコンプレックス作品(超絶技巧のもの)も多い。
 それに比較し、イタリア人の方はなんと折り線が曲線の作品を折っていたりする。日本人の発想からでは、折り紙で曲線を使うなど想像できないかもしれないが、これがなかなか良い味を出している。








 何にでも当てはまることだと思っているのだが、伝統は変わり続けなければ生きてゆけないのだと思う。これは高校の40周年式典かなにかで話したような気がするが、伝統にこだわりすぎて何も変わらず、ずっと維持していくのは、いずれ崩壊につながるだけではないだろうか、ということだ。伝統といわれる部分は根本にあるごく一部の部分だけで、残りの目に見えるほとんどの部分は変わり続けていくべきだと思う。それが発展につながるのであり、その螺旋の中にいる人にとっても変な固定観念を植え付けないで済む。



 革命を起こす必要はないと思うが、変わっていくことは大事なのだろう。かといって、周りや歴史を鑑みずに変わっていくのでは意味がない。きっと、パラダイムシフトを起こせる人は無意識に理解できているのだろう。流れをうまく掴んで、自由に動き続けられるような人間になりたいものだ。

自分ルール

 久々の更新。なぜか自分のなかで「研究室ロボコンが終わるまで更新しないルール」を設定していたので更新していなかった。新しいパソコンロボコン当日に届いたので、せっかくだから新しいパソコンで更新しよう、というルールも追加。そんなこんなで今日になってしまった。
 私はなぜか自分ルールを立てる癖がある。共感を得られる自分ルールとしては、子どもの頃に「帰り道に白いところしか踏んではいけないルール」なんてところだろうか。ただ私が異常なところは、白いところがなくなると本気で悩んで、いったん来た道を引き返して白い石を拾ってきて道を作って通るほどである。そんな小学2年生(馬鹿)。
 ただ、案外この自分ルールは気に入っている。買い物をするときに「これ!」と決めて探してしまい、なかなか理想とするものが見つからないことがあったり、WASA現役の頃に決めた帰り道の茅ヶ崎駅−家間(1.5km)は全力ダッシュなどというルールを決めて、明らかに体調悪いのに全力疾走して気持ち悪くなったり(※良い子はマネしないでね)。今思えばとある人に話していた「20歳過ぎるまでは……」も自分ルールか(ごく一部しか通じないなコレ)。ばかばかしい結果になることが多いが、いままでここまでやってこれたのも自分ルールに耐え抜くことで身に付いた根性のおかげな気もする。馬鹿も度が過ぎるとプラスになることもある、ということか。

 ……本題に入ろう。

 ロボコンは、相方も自分もいわゆるロボコン的な競技は初めてだったが、相方との相性が良かったのか、なんだかんだで準優勝。決勝は勝負していて本気でワクワクするような内容だった。結果発表もお互い言われるまでどっちが勝ったか微妙な感じなところまで戦えたし、やりきった感がある。
 とはいえ、回路製作、電源の話など、様々なところで他チームの協力を得ていた。なんというか、全員ライバルなはずなのに、お互い協力し合って向上しているのが感じられて、研究室のメンバーに恵まれていることをより痛感することができたのが一番の収穫である。おそらく、B3でこんなメンバーが揃っているのはうちの研究室くらいだろう。そう思うほどの誇れるメンバーである。

うちのチームの機体『かなすけ』。

パイロットの『そうさんた(「そうさ」する「さんた」)』。相方のネーミングセンスに感服したw


 操縦しているときに、観客の研究室の先輩方から「ゲーマーだ」とか「鬼畜だなぁ」というセリフが聞こえていたのが印象的。褒め言葉でいいんですよねこれは。
 あとは22日の「生卵を3階から落としても割れない入れ物を紙だけで作れ」が終われば班分け面談。楽しみなような不安なような。



 それと先日、ついにサークルを正式に追い出される立場になった。思い返してみると、やはり長かったような、短かったような……引退してもう20週間経ったが、いまだに「引退できた」という安堵と「引退してしまった」という、なんともいえない──やりきれないような──感覚が互いに闘っている。
 本人は覚えていないかもしれないが、追いコンの飲み会でしんぺーが「25代がいくらうまく飛んでもうちらは成仏できないんだよ」と言っていたのが、現役には忍びない気もするが、自分の中では救いだった。正直、25代が帰ってきてくれたとしたらその瞬間はうれしいかもしれないが、「なんでうちらは……」という気持ちに苛まれてしまう気がしていた。こんな考え持ってる人はいないのかな……と思っていたので、変な意味で安心した。やっぱり、どこかで諦めきれていない。さらに厳しい事を言えば、今の現役を見ていても、まだまだ負ける気がしないのである。はじめからタイムトライアル用の機体を作っているというハンデを与えているとしても、だ。機体製作の技術云々ではなく、「賭けている何か」、も。
 こんなことを書くといろいろなところから批判が出てくる気がするが、現役のときから批判を受けることはわかっていても、それでも自分の主張を表に出したり、下手すると自分以外の人にも悪影響を与えてしまうような意見でも曲げずに伝えるということをやってきたつもりだ。「分かってくれる人が分かってくれればいい」という考えは間違っていると考えているので、その両立をどうすればいいのか、というのが当時の悩みで、未だ解決していない要素である。だからといって、解決していないことを怖がって進まないのは「自分ルール」に反するので貫いている。
 なんとなく、@okuがたまにtwitterで不安定になっているときに、似たようなことがあったなぁと思う。とりあえず1年間だけ長く生きてきたものの助言としては、とりあえず自分の考えを貫いていいんだよ、ということくらいか。若干@okuとは考えの方向は違う気がするが、根本にあるものは同じな気がする。応援しているのは駆動系だけじゃなくてWASA鳥人間なんだ。できることならば、後輩にも色々なところで関わっていきたいところ。

 ……また話が飛んだ。
 とはいえ、25・26代にはどこかで24代に「これは勝てないな」と思わせるほどの何かを持ってくれるだろう、という期待もある。実際、最近駆動系に顔を出すと、ようやく「らしさ」がみんなに出てきているのが見える。この人はここの長所を生かしてくれればきっと24代を超えられる、と思っていた「個」の長所が爆発するところまで来ている雰囲気だ。本人達は気づいていないだろうが、ようやく何かの殻が破れてきたのだろう。これからが楽しみだ。

追いコンでもらった王蟲プランターのカイワレダイコン。明日には食べ頃か。

蓋を開けるだけじゃだめなんだよ

 久々に他人の考えで感銘を受けた。今日のゼミで、人間の感情の特性を利用して機械に活かす、というような内容で発表した。その中で同期の一人がやっていた発表。
 日常生活でいう軽い表面状の感情ではなく、もっと深いところでの感情についての話があった。さらっと説明すると、

 “深い感情は、喜怒哀楽が等価に配置されているのではなく、穴の中で底から順に楽喜哀怒で格納され、蓋をされている。そのため、まず怒りや哀しみを取り出さないと喜びや楽しさにはたどり着けない。”

というような内容。わかっちゃいるけどわかってないような。でもよくよく考えるほど、確かにそうだ。辛い経験が多かったものほど、それが終わったときに勝手に溢れ出る感情は、日常生活では味わえないようなものだった。鳥コンのフライトが終わって10分後くらいはまさにそんな感じだったと思う。打ち上げのときは後悔とか自責の念もあったからなんともいえないけど。
 ということは、キツイ環境下だったのは運が良かったのかもしれない。辛い状況が続けば続くほど、そしてそれに耐え切ったときこそ、何かを得られるときなのだろう。ただ、そんなわざわざ辛い状況になりたいとも思わないが。
 今のWASAの現役を見ていると、きっと最後まで走りきれればうちらよりも掴める“何か”の質が良いのかもしれない。そんな期待を込めつつも作業してみたらどうだろうか?“何事も捉え様”とはよくいったものだ。

感覚の重ね合わせ

 ひとつの刺激ではたいしてなんとも思わないことでも、複数重なると急に何か理解できたり、深く心に響くことがある。
 バイオエンジニアリングの授業で、『暗闇で何か柔らかいものを踏んだと同時にニャーと聞こえたことで、与えられた感覚情報がリンクして猫を踏んだと理解することができる』のと同じような例を挙げよ、といった感じの課題が出た。
 ちょっと例としては不正解だけれど、歌を聞くときに詩を読みながら聞くと、何かよく分からないけど心に込上げてくるものがあるのに気付いた。今まで歌詞カードを見ながら聞くことなどほとんどなかったので意識したことがなかった。
 久石譲in武道館で、千と千尋の神隠しの『ふたたび』という曲に歌詞が付けられて、平原綾香が歌っていた。もちろんテレビ放送だったので歌詞が載せられていたのだ。いや、久々に歌で感動したという話がしたかっただけなんだけれども。是非どこかで聴いてみてもらいたいところ。
 
 それにしても、研究室仲間が出した例え話が秀才すぎた。『授業中ふと教室を見回して、うるがいないなぁと思っていたら携帯のバイブが鳴ったとき、みたいなことか。』

 その発想は天才。

それはね……

 勝手にWASAの人のリンクを追加するべく、勝手にokuBlogのソースをほぼ丸パクリした。おかげで煩わしい作業が減った。ソースに著作権のようなものはあるのだろうか。


 今日の電車の中でのできごと。自分の向かいに座っている、赤ちゃん(のんちゃん)を抱えているお母さんとその娘(3歳くらいか?)の会話。

 『おかーさん、ゼロってなにもないことなんだよね??』
 『そうよ、急にどうしたの??』
 『うーん……』
 『なぁに?』
 『なんでのんちゃんは0歳なのにちゃんとあるの??』
 『え!?それはね、えと……』『……えと。』
 『………ね?ふしぎでしょ??』

 ……3歳くらいの子になんて説明すれば理解してもらえるだろう?20分くらい悩んでいた気がするけれど、うまい例え話が浮かばなかった。子どもの教育は大変そうだ。